ともに次元を超えていこう


私達は愛でした。肉、形を本物として、肉、形を自分だとして、ずっと生きてきた私達の心の中は、真っ暗闇でした。明るくて、優しくて、温かい人間など存在しませんでした。間違って、間違って生き続けてきたけれど、間違っていること自体、何が間違っているのか全く分かりませんでした。
私は明るいと思っている人、私は優しいと思っている人、温かい心の持ち主だと思っている人、本当に本当にそうなんでしょうか。
あなたは、自分の本当の姿を知っていますか。自分を語ってくださいと言われたとき、あなたは自分の何を語ることができるのでしょうか。
おそらく、ほとんどの人は、今の名前の付いている自分、目に見えている自分を中心にして、色々と語っていくでしょう。それは、自分を語っているのではないと言えば、語弊がありますが、しかし、実際は、それだけでは、ほとんど自分を語っていないということなんです。
誰しも、全く疑いすら持たなかったんです。今鏡に映っている、ここにあると思っている自分が自分でないなんて。
そもそも、みんな人生一度切りだと思っています。死んでしまったら終わり、そこで人生はジ・エンドだと思っています。
だから、限りある時間の中で、何とか、何とか生きていこうと四苦八苦していきます。そして、世の中は、もともと不公平、不平等なんです。優劣があって、不公平、不平等、理不尽なことがまかり通って当たり前なんです。本当は、何が正しいかなんて、誰にも分からないはずなんです。
なぜならば、みんな自分の本当の姿を知らない、きれいさっぱり捨て去り、忘れ去った中にずっとあったからです。今もそうです。自分がどんな存在であるのか、自分自身を見失ってしまった人間になり下がってしまった現実にも、未だに出会えていないんです。
世の中、地球人類ほとんどすべてが、そういう状態です。そんな中で、冒頭、「私達は愛でした。」ということを、自分の心の中で知り学んでいく難しさを承知のうえで、それでも、自分の人生を、自分というものを本当に根底から崩していこうとしています。
計り知れない莫大な時間の中で、肉、形を本物とする思いを培ってきたのです。
その基盤の上に、神、仏、パワーの世界を求め続け、膨らませてきた自分達の愚かさは、ちょっとやそっとのことでは、ご破算にできないけれど、しかし、それを全く白紙に、ご破算にしてからでないと、ともにこの三次元を超えていくことはできません。
「三次元を超えていこう。」というメッセージに、違和感を覚えるかもしれません。何、それ?と言われるかもしれません。
今、学びに触れている人の中にも、自分の中で、このメッセージを真っ直ぐに、現実のものとして受け止めている人は、さてどのくらいおられるかというところだと思いますが、それでも、これは、間違いなく、これから地球時間で言うところの250年、300年の間に遂行されていく事実だと、お伝えします。
それを、私達は意識の流れと言っています。この意識の流れは、もちろん、可視できません。可視できない意識の流れを、私達の目に見える形となって現れていく現象は、天変地異です。
太古の昔から、天変地異という現象は、地球上のあちらこちらで起こってきました。地は揺れ、沈み、山は噴き、崩れ、海は大波で一掃、海底から隆起等々の歴史を繰り返してきました。私達はみんな、何度も天変地異と遭遇してきた体験、経験があります。一瞬のうちにすべてを失った悲痛、恐怖等々の思いを味わってきたのです。そして、その中で、最も大きな、いいえ唯一の過ち、愚劣な思いを、私達は吐き出してきたのです。それは自らを自らで葬り去る愚かな思いでした。自分の本当の姿を全く忘れ去った私達には、ある意味仕方がなかったことかもしれません。しかし、もう仕方がなかったでは済まされない時期を迎えています。だからこそ、肉という形を持つ必要がない意識の世界から、肉という形を持って、自らに目覚めなさいと伝えに来てくれたのでした。それがどんな意味を持っているのか、どんなにすごいことなのか、それは自分自身が自らに目覚めていくレベルが高くなっていけばいくほどに、明瞭に分かってくることです。肉を持って、互いに学ばせていただいたことに感謝しかないでしょう。感謝という言葉も薄っぺらな気がします。出会うべくして出会った千載一遇のチャンスであると、私自身は感じています。
どうぞ、皆さん、自分の中に培ってきた肉を本物とする思い、他力の心、神、仏、宇宙のパワーに救いを求め、縋り、自分の中の愛のエネルギーを踏みにじってきた思いに、真正面から向き合っていきましょう。自分の今の生活、環境、人生をどうにかするための学びではありません。
私達は、ともに次元を超えていこうと呼び掛けを受けています。真っ直ぐにそのいざない、呼び掛けに応じていく覚悟はありますか。決して平坦な道ではありません。間違ってきた道を自らが正していくためには、決死の覚悟が必要です。それは、これからの転生によって明らかにされていきます。何を大袈裟な、未だ来らない未来のことがなぜ分かるんだという反論を持たれるかもしれません。反論とまではいかなくても、本当にそうなのかといぶかしげに思っておられる人もあるかと思います。
反論も結構だし、なかなか信じられないというのも分からないではありませんが、そういう方達は、殆ど全員の方が母の反省が滞っているということだと思います。どうぞ、自分の頭を過信せずに、自分の今の肉がある間に、もう一度、いいえ何度も何度も、なぜ自分は生まれてきたのか、なぜ今ここにいるのか、何をするためにここにいるのかと、母の反省を通して自分に問いかけてください。素直に真摯に問いかけてみてください。そして、お母さんに産んでいただいた今を心から喜べるまで、母を思う瞑想を継続してください。
最初は、お母さんと言えば、当然今のあなたを産んでくださったお母さんを指しますが、母の反省、母を思う瞑想を重ねていくうちに、あなたがお母さんと思うお母さんは、決して一人ではないことを心に感じていくでしょう。数え切れない転生のすべてにお母さんが存在していました。そして、そのお母さんは、まさに転生の数だけあるけれども、実は、お母さんの本当の意識というものは、たったひとつだったことも分かってきます。母の温もりとは、まさに、そのたった一つの母の意識でした。
従って、ここで言うところの母の温もりというのは、世間一般に言われている母の温もりとは比べることができないほどのものです。温もりの厚みというか、広さというか、全然スケールが違うのです。世間一般に言われている母の温もりは、その一部だということでしょう。そこで、あなたは本当に母の温もりを心に感じ広げていますかということになれば、さて、あなたはどのように答えることができるでしょうか。
まず、とりあえずは、今の自分を実際に産んでくださった母の反省です。つまり、お母さんがあなたにしてくれたこと、してくれなかったこと、あなたがお母さんにしてあげたことの三点に絞り、お母さんとあなたとの関わり合いの中で、あなたが出してきた思い、エネルギーをしっかりと確認する作業を、まずどなたもしていかなければなりません。
この母の反省が滞っていれば、先ほど触れた世間一般で言うところの母の温もりというところにさえも行き着かないんです。まずそこからです。そして、それで母の反省が終了したのではありません。
道徳的に母の反省をと言っているのではなく、母の反省を通して、自分がいかに温もりに歯向かってきたか、言うなれば、愛である本当の自分に、これまでずっと抵抗勢力だった自分というものが、心にズシンズシンと響いてくるんです。それが母の反省です。
言ってみれば、その母の反省を通して、ようやく学びの門の前に自分を立たせたということだと思います。しかし、まだまだです。学びの門の前に立って、次は中に入らなければなりません。門はどなたにもそしていつも開け放たれています。門の扉が閉まっていて鍵がかかっているのではないのです。ずっと開け放たれている状態である門をくぐり、中に一歩進んでいくのをためらっている、拒んでいるのは、他ならない自分の心なんです。その自分の心と出会う必要があります。それが、肉、形を本物とする他力の心なのです。そのエネルギーを自分の中で解き放していくのに必要なのが、温もりのエネルギー、愛のエネルギーなんです。そして、そのエネルギーは、あなたの外に求めるのではなくて、あなたの中にあるんですよ、それがあなたですよと、母の意識は何度も、何度も、伝えてくれたのでした。そして、そのことを、母の反省を通して知っていきなさい、気付いてくださいということなんです。
本来の温もりのエネルギー、愛のエネルギーは、まずその他力の心をあぶり出していきます。温もりへ帰ろう、愛へ帰ろうと私達の中に、喜んで伝えてくれます。喜びで伝えてくれているんです。だから、どうぞ、素直に、苦しんできた、間違ってきた自分を喜んで受け止めていきましょう。
日々生活をしている中で起こってくる出来事、出会う人達を通して、すなわち、自分の目で見て耳に聞こえてくる事柄によって、自分の中から瞬時に飛び出してくる思い、エネルギーに着目していけば、まだまだ、まだまだ自分の中にはどす黒いヘドロのような塊が残留している現実があります。それをしっかりと確認して受け止めていきましょう。
そうすれば、自分の今が現実として心に響いてくることが嬉しいとなってきます。苦しんできたことが嬉しい、間違ってきたことが嬉しいなんて、不思議だけれども、ああそうだったそうだったと認めていくことに安らぎを感じていくと思います。
委ねていけるこの喜び、この感覚は、今まで味わったことのないものだという心地良さを、心で体験していけば、そしてその体験を何度も、何度もしていけば、段々に、肉、形の世界にとらわれている思いが弱くなってくるはずです。薄くなってくるはずです。しがみついてきた思いを弱めていけばいくほどに、自分の中の温もりに、喜びに触れていきます。そして、自分の中の温もりに、喜びに触れていけばいくほどに、さらにそのどす黒いヘドロのような塊が動き出していきます。ああ、このエネルギーこそが、本当の自分に反逆してきたエネルギーなんだとはっきりと感じます。はっきりと感じるだけではなくて、実はそれこそが、ともに次元を超えていこうとする大きな、大きなエネルギーだったと分かるんです。
それは嬉しいですよ。待っていましたと一斉に心に響いてくる喜びと嬉しさです。母の反省を通し、母を思う瞑想を通し、そんな喜び、嬉しさの自分に出会っていきなさい、どんどんどんどん出会っていきなさいと、真実の世界からストレートに伝えていただいた私達だったのではないでしょうか。
私達はもともと愛だった、愛から出てきたから、愛へ帰っていくのが自然だった、意識の流れを思い瞑想をすれば、そんな思いが浮かび上がってきます。
愛へ帰る道。愛へ帰ろうとする思い。あなたはどれだけ自分の中で確認していますか。これから益々はっきりとそれを問いかける現象が起こってきます。意識の流れからのメッセージとして、真摯にそして喜んで受け取ってまいりましょう。
私達はみんな間違って存在してきました。そして、間違って存在していることすら、まだ気付けていない人が殆どです。その中で、自分の中に感じている波動の世界を大切にしていくことが、自分に優しく、自分に誠実に、そして、宇宙を心から愛しいと思えることではないでしょうか。
肉の中にあれば、ともすれば心は揺らいでいくでしょう。余程しっかりとした中心棒が自分の中に育っていなければ、頭が先行していきます。自ずと自分の思いの世界、意識の世界の変革は滞りがちになっていきます。先行する頭は、もっともらしい言い訳を自分の中で並べてみますが、自分の中は、そんな見え透いた言い訳など納得するはずはありません。
もう誤魔化さずに、自分に正直に生きていきませんか。見る世界、感じている世界が、あなたの中で少しずつ変わってきているのです。どうぞ、自分の中から湧き起こってくる思い、それは微かかもしれませんが、その思いをしっかりと受け止めていけるようになっていきましょう。
意識の流れは波動で伝えています。意識の流れからのメッセージはあなたの中にすでに届いているのです。それが田池留吉の肉とともに学ばせていただいた私達の事実です。どうぞ、その貴重な体験を自ら反故にするようなことはないようにしてください。
こんな機会、それはこんなに時間をかけて懇切丁寧に学ばせていただいたという意味ですが、こんな機会に恵まれたことは本当にすごいことなんです。
250年、300年に至る最終の学びを予定通りクリアして、ともに次元を超えていこうという呼び掛けに、しっかりと応じていただきたいと思います。
しかし、その選択は、もうご承知のように、自己選択です。自己責任を伴う自己選択です。責任転嫁、言い逃れを繰り返してきた私達には、大変厳しい道ではありますが、ひとたび真実の波動の世界に飛び込めば、その厳しさが愛だったと分かってくるでしょう。
数え切れない真っ暗な転生の中で、ようやく辿り着いた突破口。ようやく本当の自分に帰れる灯りを見出した手ごたえを、あなたも心でしっかりと感じてください。
意識の流れからのメッセージは、すなわち、本当のあなたからのメッセージです。私に目覚めてくださいと、あなたの中であなた自身が、いつもいつも伝えてくれていることに、どうぞ、耳を傾け、そして心を傾けて、日々、明るく穏やかに過ごしてまいりましょう。
自分の進むべき、本当に進むべき方向が確信できれば、何はなくとも、非常に心強い限りなのではないでしょうか。中からふつふつと湧いて出てくる喜びは、これからの激動の時間を充分に乗り切れるパワーを秘めています。ともに、ともに帰っていこう、それは喜びの合言葉です。肉に生きてきたたくさんの自分に、今、肉を持っているあなたが、力強く、そして優しく、声かけをしてあげてください。ひとつの声かけが、やがては大きな、大きな喜びの渦になって、宇宙に点在する意識達に、さらに、さらに届いていきます。どうですか。このことが心で信じられるでしょうか。0.5信じれば0.5の愛が、1信じれば1の愛が、宇宙に流れていきます。その信を2、3、4、・・・と大きく太く厚くしていくのが、私達本来の仕事なんです。私は、幸いなことに、田池留吉の肉がある間に、ともに仕事をしていく喜びを味あわせていただいてきました。今は、現実、その肉はありませんが、ですが、同じなんです。だから、私はこのことからも、本当に肉って何だろうかと思っています。もっとも、田池留吉の意識は、肉は必要とないとした瞬間から、肉から離れていき、たとえそこに肉があっても、すでにもぬけの殻だということを感じさせてくれたということで、他とは全く事情が違いますが。
間違いながらも、苦しみの中でもがきながらも、たったひとつの真実を求め続けてきた自分の心の叫びに、どうぞ一日でも早く出会ってください。そして、正しい瞑想の完成度を高めていきましょう。前にもありましたが、学びの門をくぐり、中へ中へどんどん突き進んでいきましょう。自分の足を半歩、一歩踏み出していく勇気です。
地球に転生をしてくる前、つまりは三次元にやってくる前から、私達は闘いのエネルギーを垂れ流してきました。そのエネルギーのまま、三次元にやってきて、地球上で闘いの歴史を積み重ねてきました。それは数多くの文献が確かにそうだと物語っています。人類の歴史は闘いの歴史と言っても決して言い過ぎではありません。
この闘いのエネルギーの矛先をしっかりと確認すると同時に、その源泉もまたしっかりと確認する必要があるのではないでしょうか。つまり、私達は、どこに向けて闘いのエネルギーを流し続けてきたのか。なぜ、闘いのエネルギーを流し続けてきたのか。そのエネルギーはどこから来るのか。
私達は愛でした、私達は愛のエネルギーそのものでしたということだったのに、なぜ、愛のエネルギーが闘いのエネルギーに変わってしまったのか。それでは、その逆は本当に可能なのか。本当に闘いのエネルギーを自分の中に吸収して、それを愛のエネルギーに変えていくことができる私達なのだろうか。
必要以上に、種々雑多な知識に触れ、頭でっかちな人間になるよりも、また様々な分野で最先端の研究実験を重ねて、後世に名を業績を残す人間になるよりも、自分を産んでくれた母親の反省を糸口にして、そこから自分のたくさんの過ちに気付き、さらに正しい瞑想を積み重ねて、これらの問いかけにしっかりと答えを出せる人間に蘇っていくことが、何倍も、何十倍も、いいえ比べることなどできないほど重要だということが心で分かる人が、一人、二人と増えてくれば、それは意識の世界からすればすごいことだと感じています。たった一人、二人の人間ではないんです。真実に目覚める、愛のエネルギーが流れるということは、もちろん、人智を超えた出来事、現象が続出していくことを意味します。到底頭脳では推し量れない現象の前に、なす術もなく、茫然自失の状態で立ち尽くすでしょう。そういうことが現実として自分の目の前に展開する、あるいはそういう事態に遭遇するということを通して、私達人間の意識の世界は、大きなショック療法を受けることになっています。
それが、これからの250年、300年、地球を含む宇宙的規模の天変地異という意識の流れの予定通りの計画だと、私の心の中に伝わってきます。
それをしっかりと受け止め、その流れに乗っていくように、今という時間を自分に用意していると、私は感じています。心の針を愛へ、田池留吉へ合わせていくことだけを肝に銘じて、どうぞ、あなたも、そしてあなたも、喜びながら、しかし気を引き締めて、学びを進めていきましょう。
ともに次元を超えていこうと思いを向けて瞑想をすればどうですか、あなたの中の宇宙達、挙ってアルバートと叫んでいませんか。アルバートを求めて、求めてきたこの思いをどうか分かってくれ、そんな思いを心に感じませんか。私は感じるんです。だから、アルバートと異語とともに発することがもうたまらなく嬉しいんです。この感覚は、田池留吉の肉があってもなくても全く変わらないものです。
「ああ、私達はこんなにもアルバートを求めてきた。母なる宇宙に帰りたいとどんなに切望してきたか。そして、今それが現実のものとして自分の中にはっきりと広がっていく、感じられる喜びは、本当に何にも例えようもないものだ。」と、私は瞑想の中で語ります。そうすれば返ってきます。波動で答えてきます。このやりとりがたまりません。田池留吉、アルバートは波動だ。私達は波動だ。通じ合える喜びをどんどん広げていこう、自ずとそう思えるのです。こんな喜びの時間を自分に用意してきたなんて、本当にありがたいことです。自分を見限り裏切り切り捨てて悪の限りを尽くしてきた愚かな自分の中に、脈々と息づいている愛のエネルギーでした。
「愛は自分の中にありました。私は愛でした。みんな愛の中にひとつ。」誰が伝えてくれたでしょうか。誰にも伝えることは出来なかったんです。目に見える世界を現実の世界だとするところからは、このメッセージは誕生することはありませんでした。愛という言葉は頻繁に使われてきたけれど、それは全部真っ赤な嘘、偽りの世界でした。本当の愛の世界が分かった人間など存在しなかったんです。愛が自分だったと知らなかったんですから。自分の本当の姿を知らない人間に愛の世界など分かるはずはありませんでした。簡単なことでした。
私達は本来、形を持たない存在なのに、肉という形を自分だと思い続けてきたんです。
私達はみんな自分を騙して誤魔化してきたと言えるでしょう。
すべてが偽りの中でした。偽りの中で幸せを喜びを温もりをと求めても、偽りは偽りです。偽りはやがて、メッキがはがれてきます。それらは未来永劫続くはずはありません。しかし、形の世界を本物としている私達には、今確かに感じている幸せ、喜び、温もりが偽りだなんて、とてもとても思えません。そして、それが自分達の新たな苦悩の始まりとなるとは、想像すらできないのではないでしょうか。自分を肉として、そしてまた自分の周りの人達、いいえ人に限らずすべてを形の世界からとらえる心の状態においては、その実感としてある形が崩れていくことに対しては、少なからず衝撃を受けることになります。人によっては激震と感じるでしょう。たとえば、あなたが肉しか知らない世界にずっといれば、どうでしょうか。心を直撃した傷跡はおそらく死ぬまで癒えることはないと思います。心を直撃した傷跡は、昔の古い傷跡といっしょになって、さらにその傷口を深く抉っていくんです。それは物や単なる心のケアなどではどうにもならないものです。私達は根本的に大きな間違いをしてきたことに、それこそしっかりと向き合って、そこから自分を解き放つということがなければ、肉という中での慟哭は、宇宙の果てに雲散霧消していくだけです。決して自分の中に届かない空しい心の叫びが、宇宙のもくずとなって彷徨い苦しみ続けるのです。肉、形を本物として生きてきた私達にとって、こんなことは到底理解できないことです。しかし、私達は間違ってきました。この間違ってきたことが明らかにされていきます。当然、天変地異は繰り返しやってきます。大きなエネルギーは形ある世界を根こそぎ崩していきます。それは必要だからです。怒り、報い、試練ではないんです。意識の流れの中の計画です。


UTAの輪の中でともに学ぼう